約千年前に紫式部が『源氏物語』を書いてから、百年あまり経た十二世紀前半にこの日本最古の絵巻は完成したといわれていますが、全十巻本説と全二十巻本説の二つの学説があります。しかし、江戸時代にはすでにその多くが失われ、現存するのは絵巻三巻(絵十五図、詞五十紙 尾張徳川家本)と一巻(絵四図、詞十五紙 蜂須賀家本〈現・五島本〉)の計四巻のみです。 当初は巻子装でしたが、昭和七年に保存と鑑賞目的のために切断され、現在は額面装に改められています。今回の復刻版では、本来の巻子装に復原してあります。
『源氏物語繪巻』は、宮廷社会に生きる王朝貴族の恋愛物語ですから、全編をとおして上品で典雅な絵画世界の展開がとりわけ重要視され、そこに独自のリアリズムを追求しています。これは数世紀にわたる中国美術の影響をはなれ、わが国特有の風景や人物を表現するのに相応しい様式がすでに樹立していた事実をしめす証しといえます。しかし、ただ対象を大和絵風に描くというのではなく、各画面に心理的表現をくわえて男女の複雑な物語に奥行きをあたえ、完成された様式美にまで昇華させているところが驚嘆すべき点です。平安貴族社会の優雅静寂をつたえる「女絵」の技法がここには華やかに開花しています。 有名な「引目鉤鼻」、「吹抜屋台」、「作り絵」などが『源氏物語繪巻』の代表的技法ですが、それらが巧緻な彩色法や大胆に計算された構図の採用により、登場人物の心理描写、物語の情景配置、鑑賞者の感情移入などと渾然一体となって、卓越した画面構成となっています。それも古色蒼然としたスタイルではなく、これは近代的絵画表現システムを先取りしたかのような、斬新で鮮明な画面が創造されたことに注目すべきです。
『源氏物語繪巻』においては、他の絵巻に比較しますと、絵にくらべて詞書の占める比率は異例に多く、このことは絵巻自体が詞書にかなりの重点をおいて制作されたものと思われます。詞書はすべて料紙に書かれていますが、十一世紀の平安仮名古筆の伝統を踏まえた高貴な書風と料紙の多彩なデザインの組み合わせが空前絶後の芸術品をつくりだしています。 料紙には最初の段階で文様をつけたり、型紙を貼ったり、下絵を描いたものなどがあり、そこに金銀砂子、野毛、切箔、破り箔などが大胆に、また精緻にまかれ、自然の風景や草花などを象徴的にとらえ、美しい装飾的形状を生んでいます。 まさに王朝美の謳歌ともいえます。書風は肥痩・運筆ともに流麗で、「行あけ」、「段落し」、「重ね書き」のテクニックが駆使されており、五種類に分類できるといわれています。複数の書家が絵師に遠慮することなく、絵師とは別々に、それもかなり恣意的に詞書を執筆したものと推測できます。
『源氏物語繪巻』は、絵、料紙、書の三要素が、それぞれの美の極致を発揮しながら、みごとな調和を形成しています。平安時代の和風文化がもつ高雅で繊細な感覚が画面の隅々にまでみなぎっています。本来の絵巻というコンパクトな形式に復元することにより、古今東西の美術史上にも類を見ない最高傑作を、時空を超えて多くの人々が鑑賞することが可能となります。
第一巻 (21.9 × 817.3 cm) |
第十五帖 |
蓬生(徳川美術館 141.0 cm) |
第十六帖 |
関屋(徳川美術館 93.0 cm) |
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第十七帖 |
絵合(徳川美術館 48.8 cm) |
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第三十六帖 |
柏木(徳川美術館 44.86 cm) |
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第三十七帖 |
横笛(徳川美術館 85.9 cm) |
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第二巻 (21.8 × 535.6 cm) |
第三十八帖 |
鈴虫(五島美術館 257.9 cm) |
第三十九帖 |
夕霧(五島美術館 111.6 cm) |
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第四十帖 |
御法(五島美術館 166.1 cm) |
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第三巻 (22.4 × 472.0 cm) |
第四十四帖 |
竹河(徳川美術館 352.3 cm) |
第四十五帖 |
橋姫(徳川美術館 119.7 cm) |
第四巻 (21.8 × 541.2 cm) |
第四十八帖 |
早蕨(徳川美術館 71.3 cm) |
第四十九帖 |
宿木(徳川美術館 244.4 cm) |
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第五十帖 |
東屋(徳川美術館 225.5 cm) |
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